波乗りしたり、おいしいものを探したり、愉しいこと大好き
大正のばあちゃん サーファーのあたし
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2008年 08月 21日 (木) 03:14 | 編集
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大ばあちゃん
2008年 04月 14日 (月) 23:06 | 編集

ばあちゃんの家は
九州で料理屋をやってた


2階はいくつも部屋があったからねえ
そうさねえ、6つとか8つとか、もっとだったかねえ

戦後はパンパンに貸したりして
アメリカさんが良く遊びに来てた
みんな優しくていい人だったよ
お土産もって来てくれたりね

戦中は代用食を売ったりもしてたね
芋とかをふかして作って

そんなんだったからね、
ばあちゃんは食べ物には不自由したことなかったね
大ばあちゃんはやり手だったよ
(ばあちゃんのお母さん)

昔は朝鮮人も良く来てた
リーさんって言ったかなあ
大ばあちゃんが良くかわいがってた
リーさんも良く慕ってね
しょっちゅううちにご飯食べにきてたね

日本人が「朝鮮人朝鮮人」っていじめてたときにね
本当にかわいそうだったよ

今思えば北の方の人だったから
北朝鮮の人だったんだね
みんな国に帰っていったけど、どうしてるかね
北朝鮮は大変そうだってテレビでみると心配になるよ

たまには大ばあちゃんのことを
懐かしく思い出したりしてるかねえ

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ばあちゃんに一票を↓


ついでにもう一つ↓



Purple Hair
2008年 03月 20日 (木) 01:06 | 編集
haco 「今日ねA子ちゃんのお母さんに会ったのよ
髪の毛をね紫に染めてるの」

ばあ 「あら〜そりゃあえらいハイカラさんだね」

haco 「ハイカラっていうか本当にこんな花みたいな紫なんだよ」

ばあ 「へ〜そりゃあ本当にお洒落さんだ。なかなか普通の人ではそんなにできないよ」

紫の頭はお洒落なんだ
パンクとかオッケーかなあ

この感覚、計り知れない

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ご面倒でもどうかひとつ宜しく↓ 涙 


ついでにもう一つ↓


続 ばあちゃんのころの学校
2008年 01月 16日 (水) 23:07 | 編集
そもそも小学校の一クラスが80人いた時代に、
女学校に行く人はせいぜい5人くらいだったというから、
義務教育の後に教育を受けるとは
よほど金銭的に余裕がないとということだったようだ。

特に女子の教育にお金をそれだけかけるのはよほどのこと。

当時の女学校の月謝が3円50銭
米が一升17−18銭

中には米を一升買う金がなく、一合、2合で買う家もあって、
おかゆにしてカサを増やして家族でしのぐという貧しさだった

穴の空いた傘を兄弟2人でさす人もいた
穴が大きすぎて、布を張った部分のほうが小さいんじゃない?なんていうのに
二人寄り添って入るもんだからねえ

今思うとかわいそうだったよ
そんなにまずしい町だったねえ

ストーブなんて、とんでもない。
冬の寒い時期に簡単な校舎の床はそれは冷たかった
今より冬はずっとずっと寒かったからねえ

ばあちゃんたちは上履きを履いてたからいいけど、
裸足の子たちもいたねえ

いつもいつも服を着てくるものもいるし、
農家の忙しい時にはまだ小さな兄弟をおぶって学校にくるものもいた
昼休みに家に帰ってミルクをあげに行ったりね

先生も農家の繁忙期には、そんなことも大目にみてた


それだけ貧富の差が激しかったねえ
今とは違うよ。本当に。


それでも義務教育は6年もあって、みんなちゃんと学校行ってたんだあ
日本の教育ってちょっとすごいなあ

しかし、ばあちゃん結構すごいなあ。
こうして聞くと女学校まで出てるって、高学歴なんじゃないか。
当時にしてみると。


大正時代の学校制度
2008年 01月 15日 (火) 23:48 | 編集
ばあちゃんの話を聞いてると、いまいちよくわからないのが、学校制度。

尋常小学校の6年間は義務教育。
ここまでははっきりしてる。

ばあちゃんはその後女学校に4年通ったが、
高等学校に行った人は、高等学校が2年間あるので、
女学校は残りの2年で良いらしい。

それでは男子はどうかというと、中学校があって、
それは女学校と同じに4年間。

高等学校が男子もいけるとこなのかどうかは
ばあちゃんの知識の中では曖昧になる。

いずれにしても男女共学はなかったらしいので、
男子と女子別々の高等学校があったのか?

その後に大学に行く人は?というと、
その当時大学に行く人は街の中にはおらず、
相当特殊なことだったようだ。

近所に見知らぬ人がいるがそれは誰かと問うと、
東京の大学に通う坊っちゃんが夏休みで帰省してるらしい
などという人を一人だけ覚えてる程度。

それは、坊っちゃんって言われるくらいだから、
相当のお金持ちの家柄の人だとか。

その他、中学校、女学校を終了した人がさらに進学するケースでは、
師範学校へ行く人がいた。

それはお金に余裕があるうちで、
さらに勉強が良くできる人が、先生になるために行く学校で、
先生になるくらいだから相当かしこい人のみが行ったよということ。

長くなったから続きは明日にしようかな

ちなみにWikiでは
「明治時代から大正時代の学校制度は、尋常小学校卒業後に就職するか、高等小学校に進むか、中学校・高等女学校に進むかなど、比較的早期に進路が決定される分岐型学校体系であり、特に大学などの高等教育段階の学校は、かなり多極化していた。」


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年末ジャンボ 家族の絆
2008年 01月 14日 (月) 23:13 | 編集
うちのばあちゃんは良く、「もし宝くじに当たったら、hacoちゃんは、誰に言う?
ばあちゃんには言う?」と言ったことを聞いてくる
対外は「そうね、おばあちゃんだけには言うかな」と言っておく。

いつだったか、事の趣旨がわかってなく、「誰にも言わない」って言ったら、
冷酷無比、人にあらず的な目でみられ、相当がっかりさせたっぽいことがある。

ばあちゃんの世代にとっては、人様からもらったものは、親・家族に言うが常識。
宝くじが当たったら、それこそ親孝行するとき、家族みんなに分けて当たり前。
みたいな事だと思う。

あたしだって、決してばあちゃんやら両親に還元しないって言ってるわけではないのだが、
口にだして当たったこととか言っちゃうと、やたらと当てにされたり、
取り分についてのいろんな不満が出たりしそうだから、
最近のかしこい人たちは「言わない」派が多いんじゃないかなあてなことなだけなんだけど。

そんなのばあちゃんには全然理解不能な感じだろうから、
「ばあちゃんだけには言う」と言うことにしている。

つか、どうせ当たらんし(笑)


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